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徳利と酒盃・漁陶紀行

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徳利と酒盃・漁陶紀行

    徳利と酒盃・漁陶紀行

    小山冨士夫随筆集

    小山冨士夫 著

    講談社
    2006年
    定価 本体1,300円+税

    amazon.co.jp
本書のあらまし
 とりわけ中国や朝鮮半島の古陶、あるいは我が国のやきものを語ろうとするとき、小山冨士夫を避けて通ることはなかなかできない。
 瀬戸・常滑・越前・信楽・丹波・備前は「六古窯」と呼ばれ、そのいい方は一般にもかなり広く普及し、あちこちで頻繁に使われているのを見聞きする。この「日本六古窯という名称は戦前私がつけたもの」と、著者・小山冨士夫が本書に書いている。
 こういった専門家らしからぬ語感やセンスに加えて、値段の高いものを珍重し、買い漁ったりする骨董趣味がなかったからこそ、世界的にもよく知られた、陶磁器の研究者としての功績があげられたように思えて仕方ない。モノに対しては、いつも冷静なのだ。もちろん篤実と思われる人柄が、さらにその研究を助けたであろうことは本書を読んでいるとそれとなく感じられる。
 またもう一方の顔として、とくに晩年、小山冨士夫は陶芸家として活躍し、死後30年を経た今でも、美術マーケットではかなりの高値で作品が取り引きされているほどだ。
 紀行文、恩師への手紙、また雑誌連載の作品解説などを通して、戦前戦後という時代を背景にした陶磁器の研究者としての視線、あるいは古陶と現代とをつなぐ役割を果たし、日本のやきもの界の発展のために尽力した著者の姿と人柄が、そこはかとなく響いて伝わってくる随筆集だ。
本書の魅力
 著者が「大正の末から少なくとも千は降らない窯跡や遺蹟を歩き、十万は降らない陶片を採集した。また世界のこれという陶片のコレクションは見てまわった」(骨董百話)と書くのは、研究者としてのささやかな自負でもあるのだろう。
 なかでも白眉は、1941(昭和16)年、日華事変の最中、銃声の飛び交う中国において、世界ではじめて定窯窯址を発見し、それと特定したことだろう。そのときの様子が、自らによって能弁に語られており、インディ・ジョーンズの冒険活劇さながらにハラハラしつつ読み進むことができる......。ところが読み手がふと我に返って驚くのは、これは映画や小説のワンシーンではなく、現実の世界なのだということだ。
 果たして、生死を分かつ危険と背中合わせのこの発掘作業に著者を駆り立てた動機は、それにしてもなにかと考えさせられる。
 そうかと思えば、こんなことも書いている。日本ではまだ珍しかった親子三代のクリスチャンの家に生まれた著者が、「中年から堕落してしまって、いまではクリスチャンとはいえない」などとさらりといって、気を引くのだ。
 なぜ、それまでとは一転し、酒を浴びるように飲み続け、自暴自棄と思えるほど豪放磊落な生き方を選ぶようになったか。きっかけは「永仁の壺事件」という。
 しかしことここに至っては、いつも健筆を奮う書き手は「古瀬戸を見誤って永仁の壺事件のような問題をひき起こし、世間に迷惑をかけた」と言葉少なに記すだけだ。周囲への配慮もあってのことだろうが、リアルな心情などをこのエッセー集に見つけることはできない。
 本書を読み終えて思うのは、著者の直接的な言及は見あたらないにせよ、恐らく、モノを見つめる冷たい目と、学問的な強い探求心とまっすぐな情熱を併せ持った人だったろうということだ。そして石黒宗麿、荒川豊蔵、西岡悟(小十)の3人の陶芸家に向けられた目線の暖かさが、ことさら印象深くこころに浸みて残る。ここに著者自身の、隠し覆うことのできない、人間性を見る思いがするのである。
 とくに戦後の、日本の陶芸界の成り立ちに大きく関与、貢献した小山冨士夫と、その当時のやきものを取り巻く時代の空気に、そっと指先が触れるのを実感することができる一書といえるだろう。
お薦め指数
味わい
読み応え
読みやすさ
著者プロフィール

KOYAMA Fujio 1900年に岡山県に生まれる。1923年、東京商科大学を中退、志願入隊。26年には真清水蔵六(京都)に弟子入り。30年に古陶磁の研究を決意し帰京。32年には東洋陶磁研究所研究員となる。41年に中国にて定窯古窯址を発見。48年には東京国立博物館調査課に勤務。50年、文化財保護委員会が発足し事務局美術工芸課に勤務。51年、東京大学講師、神奈川県立近代美術館運営委員会委員長に就任。52年に文化財保護委員会事務局無形文化課に勤務。59年には文化財保護委員会事務局無形文化課文化財調査官に就任。「永仁の壺」が重要文化財に指定。60年、文部大臣賞芸術選奨(評論、その他部門)受賞。「永仁の壺」の偽作問題が発覚。61年、文化財保護委員会事務局を辞職。62年にイギリス東洋陶磁協会名誉会員となる。65年、文化財審議委員となる。67年に日本工芸会理事長、和光大学教授に就任。68年、文化財保護審議会専門委員に就任。71年、勲三等瑞宝章を受章。72年、神奈川県文化章受章。73年に東洋陶磁学会初代常任委員長に就任。75年、死去。

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