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漆 塗師物語

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漆 塗師物語

    漆 塗師物語

    

    赤木明登 著

    文藝春秋
    2006年
    定価 本体2,238円+税

    amazon.co.jp
本書のあらまし
 この本を読んでいて、その事実に驚きながら、また、はなはだ不謹慎を承知で思わず吹き出してしまったところがある。漆カブレについてだ。
 症状には個人差があり、カブレない人もいるのでは、などという半端な情報だけを頼りに読んでいたら、漆液に触れればほとんどの人はカブレ、それは制作に携わる作り手にとっても例外ではないと分かる。しかも著者の場合、手に漆がついたまま小用を足したりしていたために、想像に難くない部分から大変な目にあってしまう......。
 今、人気の漆作家、あるいは漆芸家といって当を得ていないのならば、輪島漆の塗師(ぬし)・赤木明登氏が、どのような道程を経て個人作家としての自立を果たしたかが、如実に語られた本だ。とはいっても著者自身は、岡山県に生まれ育ち、東京の大学に進学してそのまま出版社に就職。ところがそれから一転、石川県・輪島の輪島塗下地職人の元に弟子入りするという、特異なプロセスを踏んでいく。
 漆塗りの予想をはるかに超えた様々な工程、そこで用いられるうんざりするほど多種多様な漆、素材や道具の一つひとつが、職人言葉で綿密に記されていく。日頃、漆器を使って、食事を楽しんだりするファンにとってももちろん興味深く読めるだろうが、これから漆職人、また作家を目指そうとする若い読者にはことさら意義深く、得難い内容やデータが惜し気もなく盛り込まれている。
 本書中にて漆芸家・角偉三郎(1940-2005)が「人は、誰かに出会わなければならない時もある」といったと、要所で繰り返し紹介されている。著者はこの角偉三郎と出会って人生が変わった。ひょっとすると今度は、見知らぬ誰かがこの本に出会うことで、新たに漆の作り手を目指すことへとつながって、また「出会い」が循環していくのでは、という予感さえするのであった。
本書の魅力
 とくにリアルに描かれているのが、漆職人たちの間で交わされる方言での会話だ。なかでも、「鵜島(啓二 1940-2006)先生」や「榎木盛(1917-1999)先生」らによる、著者への技術指導やお説教の折の言葉には迫力すらある。いい方はあくまでも荒っぽく、やがて酒も加わり大騒動になるのだが、その辺りが活き活きと軽妙に再現され、作り手たちの交流の実際が臨場感たっぷりに伝わってくる。しかし、この粗暴にも聞こえる先達の教えの底には、いつも、ほんのりと暖かな情が流れているのを感じることができるのだ。
 もうひとつ、データとして明らかにされているのが様々な金額だ。輪島に移って最初の住まいの家賃は、幸い大家の計らいでタダになったが、たとえば下地塗職の弟子としての賃金、親方から支払われる夜鍋仕事の手間賃、新居建築のための費用、木地屋からの仕入れ値、独立資金、一人前の日当、外国の美術館の作品購入金額、初個展での総売上額など、どれも具体的に記され、世俗的な興味を刺激しつつ貴重な記録になっている。
 さて、晴れて年季が明けて独立した著者は、なにをやっても許される自由を手に入れた。だがとなると、なにを作ったらいいのか迷い、思い悩んでしまうものなのだ。そんななかで手探りしつつ見えてきたものは、「物がたたえている時間」になにかがありそうだという気配だった。自らが偶然見つけた古い輪島塗の飯椀にはじまり、李朝時代の文箱や重箱、次いでインドの大盆、バリ島の木皿、ニューギニアの片口などを「写す」ことから仕事をスタートさせていくくだりは、人気作家の発生過程や美意識を知るうえでわくわくと楽しみながら読める。
 もちろん本書に著者が残そうと思ったのは、それだけではない。私淑してきた漆芸家・角偉三郎から直接、聞き、感じ、学んだことを書き留めたいというのも、執筆の大きな動機になっているからだ。この先人の偉業を冷静に顧みて再評価しながら、一方で、内側には迷いや矛盾をかかえながら生きた作家ともいう。赤木氏の鋭さは、自身がいつの間にか後を追っていた角偉三郎の、その強さや太さの裏腹にある弱さや揺れを感じて、なんて「人間的な生き方をしている人なんだろう」と受け止められることにある。そういう著者だからこそ、直感と思索を巧みに組み合わせながら、ひとつずつ手掛かりを見つけ、しっかりとつかんで次へと進む作り手としての歩みが、人生そのものの確かな足取りへと連なっていくのだろう。
 未知の土地・輪島にやって来て、赤木明登氏はたくさんの人々に出会い、「ほんとうの自分」を探しながら塗師として自立していく姿を誠実に描きつつ、さらに本書は、角偉三郎へのこころを込めた鎮魂として綴られた愛慕の物語にもなっている。
お薦め指数
読みやすさ
サービス
資料的価値
著者プロフィール

AKAGI Akito 1962年に岡山県に生まれる。85年に中央大学文学部を卒業。世界文化社に入社し、「家庭画報」編集部に配属。88年に同社を退社し、石川県輪島市に移る。89年に輪島塗下地職人の岡本進に弟子入り。94年に独立、桃居(東京)にて初個展。以降、95年に梅屋(福岡)、96年にスペース幹(倉敷)、98年にヨーガンレール(福岡)、99年、百草(多治見)、2001年、スペースたかもり(東京)、03年に岡山・高島屋、04年に工房IKUKO(倉敷)、萬器(柏)、テーブルギャラリー(高知)などで個展。また99年に「日本の現代塗り物十二人」(ドイツ国立美術館)、2000年に「うつわをみる 暮らしに息づく工芸」(東京国立近代美術館)に出品。著書に「美しいもの」(新潮社)、「美しいこと」(新潮社)など。

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