- 本書のあらまし
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この本は、日本が植民統治していた日韓併合時代に朝鮮半島へと渡り、高麗・李朝時代のやきものや工芸品を収集、研究した浅川伯教(のりたか)・巧(たくみ)兄弟を描いた伝記小説だ。なかでも朝鮮人に親しまれ、惜しまれつつ夭逝した弟・巧の人間性を主軸にすえて、史実に沿って描かれた物語になっている。
モデルとなった浅川兄弟は実在した人物であり、明治時代に、現在の山梨県北杜市高根町に生まれている。兄の伯教は京城(現ソウル)の尋常小学校の教員として赴任し、翌年、巧も引き寄せられるように朝鮮半島へ行く決心を固める。この兄弟が日本の工芸の歴史におよぼした影響と役割は、「民藝」の理論的な体系者である柳宗悦(1889-1961)と李朝白磁とを取り結んだことと、そして、期せずして木喰仏と柳との出会いの縁を作ったことなどがとくに重要だろう。工芸ファンにとってはそれらの歴史的シーンがリアルに、生々しく実感できるところがこの小説の妙味となって興味をそそると思う。
浅川兄弟は、当時、高麗青磁に較べてまだ評価の定まっていなかった李朝の白磁の美に着目し、固有の美を見つけて研究を深め、日本に広めていく。それらの多くの業績が、誰とでも人として隔てなく接し、文化を解し朝鮮民族に親しんだ浅川巧の暖かく、清廉な人柄を交えて書かれていて感動が誘われる。
なお本書は、第41回(1995年)青少年読書感想文全国コンクールの課題図書(高等学校)に選ばれたことがきっかけとなり、巧ら兄弟の生き方が山梨県内はもとより全国に知られることになった。またこれを原作として、抑圧の時代に生きながら日韓交流に大きな業績を果たした山梨県出身者として、北杜市など行政や地元をあげての協力もあり、2010年の公開に向けて同名タイトルの映画化(監督・神山征二郎)も進んでいるという話題作でもある。 - 本書の魅力
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大まかにいえば、浅川兄弟の兄・伯教は陶磁器の研究者、弟・巧は感受性豊かな鑑賞者という立場に描き分けられている。教員勤めをしながら彫刻を制作しており、やがて古窯跡の調査・研究を重ね、足で集めた資料をまとめて記録するのが兄の主な役割だ。林業技師として半島全体を調査しつつ植林の仕事を続け、一方で白磁などやきものや木工芸品に夢中になる収集家としての立場が巧であった。
この兄弟と「民藝」の祖・柳宗悦との接点は、伯教が柳のもとを訪れて実現し、その際に土産にと持参した壺が、柳と李朝白磁とのはじめての出会いに折り重なっていく。宗悦は後に、その「面取染付秋草文壺」がきっかけとなり李朝のやきものに惹かれ、朝鮮の美の虜になっていったと述懐している。そしてそれは、民芸運動が強く進められていくひとつの動機と、情熱にもなっただろうと本書を読んでいて感じられるのだ。
ところでこの本の伝記小説としての感動は、無垢で偏りのないこころを持った浅川巧の生き方にあるだろう。日韓併合から第1次世界大戦参戦へと続く軍事制圧下の時代にあって、朝鮮において、朝鮮人から親愛を得ていた日本人がいたという事実にまず驚かされる。
肉親との別れなどの不幸を乗り越えながら、同僚の日本人からは朝鮮人に敬愛される巧へのやっかみもあった。しかし、現地の人には日本語の使用を求めず流暢な朝鮮語で会話し、恵まれない子供たちを私費で学校に通わせ、また、日本の軍人の圧力に抗して現地の人を守って励まし、自身も決して屈しなかったのだ。そんな巧の白磁のように明るく素朴な、人間としての愛が感じられる生き方に強い共感を覚えるのは、それが誰にでもできることではないと、すでに読者の多くが気づいているからに違いない。
40歳の若さで急逝した巧の告別の日......。人々が群をなして別れを惜しみつつ集まり、慟哭する朝鮮人がどれほど多かったか、と著者は記す。現地の人々によって棺が担がれ、朝鮮人の共同墓地に埋葬されて、今も浅川巧を慕う韓国の人々によりその墓は守り通されているという。
- お薦め指数
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ストーリー 読みやすさ 資料的価値
- 著者プロフィール
EMIYA Takayuki 1948年に山梨県に生まれる。中央大学法学部を卒業。山梨日日新聞社文化部の記者時代に浅川巧を知る。89年に「経清記」(新人物往来社)にて第13回歴史文学賞を受賞。95年に本書「白磁の人」(河出書房新社)にて第8回中村星湖賞受賞。他に「凍てる指」「一葉の雲」「カネゴンの日だまり」「井上井月伝説」「二人の銀河鉄道 嘉内と賢治」「女たちの新撰組 花期花会」(以上、河出書房新社)、「でっちあげられた悪徳大名柳沢吉保」(グラフ社)、「片倉小十郎景綱」(学習研究社)、「写楽の道」(ベストセラーズ)など多数。