
0064号
2010年08月02日更新
いつも藤平寧(ふじひら やすし)氏の作を見ていて思うのは、この人ほど器を作ろうとか、用途のない造形作品こそを、などと限定しないで、自らの活動範囲を狭めたり封じ込めてこなかったろうということだ。むしろその間を自由に動き回り、いとも軽々と往き来して成果を上げてきたこんな作り手は、そう多くないと思える。オブジェを作らなければという気負いもなければ、伝統様式にだけ拘束される息苦しさも感じられなくて、実に柔軟な身の構えなのだ。そんな幅のある境界線上を、ずっとひとりで歩いてきた作者らしい器を中心にした新作が、本展で展示されている。
手捻りで形作られた器は、皿や鉢として用いるには素地にやや厚みの足りないような感じがするものがある。こうした独特な、はかなさのような気配が伴うのが藤平作品の特徴のひとつだ。薄作りの表面はわずかにデコボコと波打ち、ボディがやや歪んで作られているために、それぞれの作は少しずつ小首を傾けたようにも見え、組みものであっても形はかなり違っているものもあり面白い。まるで森の中に転がっていそうな木の実を割ったような形の鉢や、樹々の種や枝先についた水滴にも似た姿をしていたりして、いずれも見る側の情感に滑り込んで来るような器ばかりだ。そして実際に、たとえばそれらの器に料理などが盛られている様子を見ると、涼し気に見えて深い興もある。使用後に、洗ったり収納を考えると少し扱いに神経を使わなければならないとも思えるが、そこまでを含んで、これらの現代を呼吸した個性的な作と接する機会を、楽しみに受け取っているファンも多いようだ。
もうひとつの特徴は、装飾としての色だ。黒と金、黒と銀など、くっきりと鮮明にツートンに塗り分けられたものがある一方、釉が混じり合ってとてもなに色とはいえないような淡く繊細で、複雑な色使いのものが見られて魅力的だ。ところが素地土の自らの色や金・銀泥彩をのぞくと、本出品作に使われている基本となる釉薬の種類は4種類ほどだと教えられ、少し驚いた。会場に並べられた作が、多彩に見えて映るからだ。
また実用の器なのだからと、とくに手にとって使う種の重量感はこれまでも作者の中で慎重に考慮されてきた。それらに加えて、最近意識しているのは作品のサイズだという。現代の器としての大きさもさることながら、自分らしさを現しやすいベストな大きさなども視野に入れながら、料理を盛る器としての美的サイズも追いかけているのは、いうまでもない。
なお会場の壁面には、掛け花入やオーナメントとしての造形作品も展示され、作域の広さとセンスの良さの一端が窺える展覧になっている。
上左●まるで、どこかの風景を立体的な絵に描いたような器作品の連作「水のうつわ」。(中央の円柱型の作品の発表価格=52,500円) 上右●美しい虹色にも見え、あるいは真珠色にも輝いている皿(前)は、銀泥を塗って得られた効果という。
■ギャラリートーク「うつわって面白い」
作者自らによるギャラリートーク「うつわって面白い」が、4月17日(土)15時から同会場にて開催されます(予約不要)。
京都の陶家に生まれて、いわゆる「第3世代」といわれる作家・山田晶(YAMADA Akira)、藤平寧(FUJIHIRA Yasushi)、森野彰人(MORINO Akito)各氏による3人展が開かれている。この3作家は関西の陶芸界を牽引するであろう、あるいは、少なからず影響を与えているいずれも中堅の実力派であり、しかも今回の顔合わせによる発表ははじめてということも手伝ってか、会期前から高い関心を集めていた。
山田氏と藤平氏に聞いたところによれば、3人はそれなりに親しい関係でありながら、だが密着するほどの仲でなし、ほどよい距離感を隔てた間柄が、作品制作にあたっても適度な刺激と緊張感を生じさせたようだった。
さて出品作の中身はといえば、藤平寧氏は危うい、はかな気な雰囲気を持つ独自な器表現にいよいよ長けてきたように感じられた。刺や突起といった以前からの造形的な特徴は、近年はやや抑制され、むしろシンプルな軽やかさが加味され強調された。そしてそこに、わずかながらの歪みや窪みなどが認められ、有機的な揺れを伴う薄く軽やかな器が抱え込む情緒性、つまり、この作り手ならではの繊細さが震えるように、刺さるように見る側に伝わってきて秀逸だ。
森野氏の作は、ロクロで挽きあげた曲線を強く意識したであろう作が多く見られた。それらの描くカーブはもちろんとても美しいのだが、それよりもとくに装飾に個性が際立っていた。たとえば、細い線による掻落しや、穿たれた小さな孔などに見られるように、微細な作業を丹念に積み上げ、結局、全体としては特異な装飾的効果にまで持ち上げていくという、独特な手法を採る。そしてそこには、稀な緊張が生まれていることが多いのだ。それはオブジェの装飾でも変わらないこの作者らしさだと、改めて感じられた。
このところ「猩々緋」という技法で作品作りを進めている山田晶氏の作は、見た目のインパクトからか、多くの観客の耳目を集めていたようだった。この手法を基本に置き、造形と他の技法などを複合的に組み合わせて展開させ、「猩々緋」は円熟期を迎えつつあるようにも感じられた。この技法は(別稿を参照のこと)ここでは詳述しないが、複雑で、執拗な過程を経て、やっと独創的なテクスチャーと効果を得ていることに注目したい。
3作者に共通の技法を強いて挙げれば、金彩・銀彩が使われているところだろう。しかし、その味わいがまったく違うところにむしろ深い関心をもって見られた。また出品作を総じていえば、代々の陶家に生まれたとはいえ、古物を写したような作柄はまったくなく、反対に昨今流行の器のスタイルを追随する様子ももちろん見られない。どちらかといえば、器は制約が多く個性が打ち出しにくいテーマではあるが、出品作を見る限り、作者としての意志が鮮明に感じられ、結果として独創的な器を作って提示している点で、作者らのプロ意識、または気概のようなものが感じられた展覧だった。
上左●薄く、軽やかに作られる藤平寧氏の作には、哀愁さえ感じられることがあって不思議だ。
上右●左より作者の山田晶、藤平寧各氏。良きライバルでありながら、作者らの間には互いに心地よい刺激があるという。