1,000本インタヴュー

第002回 センテンモン・インタヴュー

美和隆治 MIWA Ryuji センテンモン・インタヴュー 002

デヴュー展は58歳

 美しいものが生まれるのは偶然からではなく、その裏側には、いつも苦労が見え隠れしている。
 今から、20年ほど前。初個展(1988年)の会場には、命の炎が燃えて現れたような赤志野茶碗や、焼き切った清々しさを伴う美濃伊賀の花入が堂々と並び、陶芸界は、突然のこの新人作家のデヴューに驚いたものだった。
 その初個展が開かれたのは、作者が58歳の時。独立し、やきものを作りはじめてからすでに30年が経っており、自らを髪結いの亭主といって小さく笑っていたものだ。
 美和隆治氏の作る美濃陶の基本は、とくに釉薬を中心に置いて考えられており、桃山時代からの伝統に則って作られている。とはいえ、当時の復元や再現とは異なる作者なりの解釈がベースにあり、伝統を整理し直して作られている現代の創作陶芸だ。味に流れず、未熟という意味での素直さのない極限の美を狙って作る、美濃に生まれたやきものだ。
 今年(2009年)、4年振りに、6回目の新作展(名古屋・松坂屋本店)を開くという。3年に1度ほどの個展発表は、あまり多いとはいえない……。久々の新作展を前に、話を聞いた。(取材・構成=編集部)


                         ◆



 私が若い頃、陶片は博物館や資料館などの、展示施設で見るわけでなく、志野などを焼いていた窯場に自ら歩いて行って、掘って探していました。今なら文化財ですから、もうそういうことはできませんけどね。当時はなにもとがめられず、自然のなかで掘っていたものです。
 そうして窯跡を掘っていますとね、黒い土のなかから白いものが出てくる。志野です。するとその材質や鉄の赤が、それから志野の破片がほしいという気持ちが相俟って、一層美しいと感じられたものです。もうそれは、輝くようにきれいでしたね。


 私は長く、美濃陶の伝統に沿った仕事を続けています。
 ですが桃山陶の「再現」というのは、まず、そのものが目の前になきゃあいけないわけで、当時と同じ土もなきゃいけないし、その時代の大窯があって、しかも技術的に上手く焼ける必要もあります。ようするに再現ということは、やきものばかりでなく絵でも彫刻でも同じだと思いますが、その当時とは、桃山時代とは違う作り手が、まったく異なった環境で作るわけだから、厳密な意味での再現ということはありえないと、思っています。
 確かに、美濃で焼かれた桃山陶に興味を持って私は作品を作っていますけれど、それは現代に生きる僕の考え方で作っている桃山陶なわけですから。ですから、茶碗の寸法などは大体分かりますが、作る時はもう自分の感覚ですわね。桃山時代の釉薬はどういうものかと、探さなくちゃいけないし、焼き方も探さなくちゃならないから、ある程度、自分の想像がないとできません。
 いわば子供が成長するとき、親のいうことを聞いて言葉を覚えていくように、もの作りもある程度ものを見て吸収していきます。僕も荒川豊蔵先生や加藤唐九郎先生の作品にも共感しましたしね。そういう伝統を自然のように吸収して作っているわけで、これは模倣でもないわけです。でもね、この歳になってくると自分のものを作り出そうとしていて、だからもう自分の感覚だけですわね。

「絵志野茶碗」H9.4 W12.1㎝ 2009年

「瀬戸黒茶碗」H9.0 W11.2㎝ 2009年

「美濃伊賀耳付花入」H30.6 W13.3㎝ 2009年

バックナンバー