宮脇昭彦と読む「柳宗悦」

【社会と関わって活きる工芸】

宮脇昭彦 MIYAWAKI Akihiko
1939年に兵庫県に生まれる。東京芸術大学美術学部工芸科卒業。現在、愛知教育大学名誉教授、明星大学造形芸術学部客員教授、クラフトセンタージャパン理事長、日本クラフトデザイン協会会員、日本工芸会正会員。

--技術もさることながら、工芸では素材はとても重要な要件です。宗悦は、形や模様は「原料に招かれる」「よき工藝はよき天然の上に宿る」といっています。工芸の特質として、素材の性質から導き出されるという点においては、そういういい方もできるとは思います。

◆私はそういうことを立派にいえる環境にないです(笑)。九州から磁器土を送ってもらったりとか、いろんなところから釉の原料を送ってもらっているのに、天然素材には違いがないけれども、それをただ使わせて頂いているだけですから。東京のやきものを東京の土で作る、ということをやっているわけではないですから。

--九州の土を東京で焼くことこそが、現代の工芸の特徴のひとつではないでしょうか。柳が各地の民芸の里を巡って旅をしていた時代には、その土地に固有の素材や技術、伝承の形態・方法などの地方性が、まだ幾分か保たれていたように書かれていますが、現代はグローバル化、情報の共有、物流の長足の進歩など、比較にならないほどの隔世の感があります。とはいえ、その素材に固有の特徴や、特定の素材からしか生まれてこない必然的な形や装飾があるように思います。

◆先に出ました雑器の美と、侘茶の話にもつながってくるのですが、やきものの面白さって曰くいいがたしで、見ようによってはよく見えるが、見方によっては汚らしいともいえるし、なんでここが面白いのとか、難解な要素がたくさんあります。
 別に私自身もそれが嫌いなわけでもないですが、ある時、極めて明解に誰にでも分かる、子供から大人から年寄りにまで分かる、誰でも綺麗とか可愛いとか、その尺度で許容できる姿としての、工芸の姿がありうるのではないか、と思ったのです。むしろ、難しい世界というよりどこまで簡明な世界が、もの作りのなかに持ち込めるかという、そういうことを私はやってみたいのです。それはある意味で、デザイン的な考え方なのかも知れないですけどね。だから、七面倒くさくて分かりにくい、高踏的な、ブリッ子みたいなものをやりたくないんですよ(笑)。どうやったらこういうことになるのだろうと、まったく見当がつかないけど、凄いというものがありますけど。
 富本憲吉(陶芸家 1886-1963)先生が、当たり前の技術で、当たり前の材料で、当たり前に仕事をすることによって、それがある意味で個人的な仕事であっても、社会との接点を持つ姿勢を保ち続けられるということを、なにかでおっしゃっていました。そういう考え方の影響かも知れません。だから決して難しい技法だとか、訳の分からない、見当のつかないやり方で作品を作るのではなくてね。

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