宮脇昭彦と読む「柳宗悦」

【手仕事を保って維持される文化】

民芸運動を牽引した柳宗悦は、今は、武蔵野の面影が周囲に残る東京都小平霊園(東村山市)の墓所に静かに眠る。

◆日本の文化というか、江戸時代まで長く育んできたものを、明治以降、実に無惨に捨ててきてしまったのは、口惜しさにつながります。例えば漱石は、漢詩を読み、英語で詩を書くという両方に足場があったわけです。そしてそれを、その後まで後世の人々が継いでいくことこそが、日本という国のためばかりでなく、アジアも含めて、今後の文化を考えるうえで大切なことだと思います。

--日本固有のものを顧みることなしに棄て、西洋に同化すればいいとは思いませんが、ただ、懐古趣味だけではなく、先にどう進むかという展望も大切なのではないでしょうか。

◆そうでしょうか、前に進むといわれるとまた抵抗を感じる。というのは、あまり進歩思想に与しないものですから(笑)。つまり技術が発達して、新しい技術を受け入れることがどれだけものを失うか、その痛みのようなものを、受け入れる側はよほど慎重になっていなければいけないと思う部分があるのですが、今の世の中、拝金主義に支配されてどんどん受け入れてしまっているようにみえます……。

--工芸には「伝統」が必要ですが、しかし、その前になにを作るのかが前提にあっての様式や技術で、ただ伝統技法をトレースするだけでは具合が悪いと思います。工芸における技術は、どういうものとお考えですか?

◆アートは言葉でいうと技術・技巧でしょ。なぜ芸術(アート)が技術なのかというと、技術の伝承に関わっているからアートなわけですよね。ある意味で、今の社会のなかで、いわばほとんどいらなくなったその前の時代の技術をどう伝承するかというために、アートというものが存在しているわけです。それはアートというくくりでなくても、趣味というくくりでもいいし、スポーツでもいいけれども。ヨーロッパの言葉の概念でスポーツといえば、いろんな楽しみから、たとえば釣りをするとかいうのまでを全部含めてスポーツですよね。そういうものはいわば、アートのジャンルに入るわけですよね。
 つまり、社会の知恵というか、人間の知恵として、古い技術をどう伝承して持ちこたえていくかということが、アートの使命だと思いますね。
 当然、伝統とか手仕事が継続して、社会の工業の生産には直接的な寄与はできなくても、それを保つことによって、かろうじて人間の文化が維持され、存在していると考えています。(……続く)

取材・構成=編集部

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【柳宗悦 YANAGI Muneyoshi 1889-1961】
 東京に生まれる。父は数学者、海軍少将の楢悦。学習院高等科在学中に志賀直哉、武者小路実篤、里見弴らと「白樺」を創刊。バーナード・リーチと交友。東京帝国大学哲学科卒。宗教哲学者。東洋大、明治大、同志社大などで教鞭を執る。富本憲吉と交友。1925年に河井寛次郎、濱田庄司らと『民藝』の新語を作る。26年、「日本民藝美術館設立趣意書」発表。ハーバード大などで講師を務める。月刊誌『工藝』を創刊させる。36年に日本民藝館を開館、館長に就任。39年に『月刊民藝』創刊。講演、調査・収集などで全国を旅し民藝運動を推進。57年、文化功労者、60年に朝日文化賞受賞。

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