
0064号
2010年08月02日更新
美和隆治(MIWA Ryuji)氏のこれまでの主要な個展は、いつも本展会場で開催されてきたが、前回の個展が開かれてから4年を経て、やっとこの新作展に漕ぎつけている。もっとも、美濃古窯で古陶片を発掘しながらやきものの研究をはじめ、それから初個展が開かれたのは30年後だったことを思い起こせば、ファンにとっての4年間はそう長くないのかも知れない。
今展でも仕事の中核となっている茶碗は、紫志野、紅志野、志野、絵志野、鼠志野、黄瀬戸、瀬戸黒、美濃伊賀、黒織部の9種類が出品の予定という。なかでもとくに人気があって注目されるのは、やはり紫や紅、赤などの志野碗だろう。とはいっても美和氏の作る志野は、焼成中に様々に窯変し、極めて変化に富んだ発色を見せるのが特徴であり、それが大きな魅力になっている。造形は意識的に歪ませることはあまりなく、やや横に拡がった形に独自性が際立っている。また、志野茶碗でもうひとつ注目したいのが鉄絵などの装飾だ。あるものは風に舞う葉のようにも見え、時に抽象絵画のようにも感じられ、別の絵では古代文字とも見紛え、興味深い。このことは、青年時代に洋画家として活躍していたキャリアと、決して無縁ではないと思える。
もうひとつ本展で注目されるのは、タイトルに「作陶展」とあることだ。茶碗が中心の発表ではあるが、黄瀬戸や鼠志野、美濃伊賀などの花入に加え、灰釉の鉢、志野のぐい呑なども出品される予定だからだろう。とくに黄瀬戸を用いて竹の一重切の形を模した花入は、ためらいのない箆目が入った造形的な力強さと、竹の写実性が相俟って見どころの多い作に仕上がっている。枯淡の作域に入りつつも、一方で、作品に活き活きとした生命感が失われないのは、この作り手の執拗さだと感じる。総出品点数は30点あまりの予定、期待通りの新作展になりそうだ。
上左●「灰釉鉢」H17.2 W29.0㎝(発表価格は525,000円) 上右●「紫志野茶碗」H9.4 W14.0㎝(同787,500円) ともに2009年
同世代の女性陶芸家によるグループ展が開かれている。作者は朝倉晶(ASAKURA Akira)さん、岡野里香(OKANO Rika)さん、樺沢美子(KABASAWA Yoshiko)さん、野上薫(NOGAMI Kaoru)さんの4名だ。岡野さんのみは今回、陶芸の傍ら制作を続けているというバッグでの出品、他の3人は陶による器を発表している。本展の特徴は、テーマに「こども」が加わっていることで際立っている。展覧会としての切り口もそうだが、女性作家にとって子供を意識して創作するのは、とても自然で、しかも力強い制作の動機になると、改めて思わされた。
たとえば、野上さんは大人と子供の揃いの器を作っていて、だが、子供用の鉢やカップには白化粧を施し、食べ物や飲み物の色を見えやすくするなど、きめ細かな配慮がある。紐作りによって生じた器形の微妙な凹凸は、ひょっとしたら子供の手に馴染むグリップになるかもしれない。また、可愛らしい陶箱に見える蓋ものを出品する朝倉さんによれば、それは実は、子供の「乳歯入れ」という。たまたま歯科医院で見たものに着想を得て、作者なりに創作したものだ。白化粧の皿の形は、誰にでも親しみが感じられるように花弁を意匠のベースとしている。それらは、陶芸家と母のふたつの鋭い感性が結び合わなければ、なし得なかった仕事だろう。
子供と一緒に食事をしたり、花入と花を見たりする視点をとくに意識し、型成形による作を出品している樺沢さんは、本展タイトルの発案者だ。使えるものを作りたいと自身の制作の方向性をはっきりと定め、今回の釉による落ち着いた発色と、丸味を帯びた優しいフォルムには、テーマに沿った暖かな心遣いがにじみ出ているようだった。
これら子供を意識した制作は、どの器にもとても現実的な工夫があり、しかもそれらが、三者三様の美意識と個性によって絡め取られ、違和感なく受け入れられる作品に仕上げられている。子供のための器作りの将来に、新たな可能性が拓ける濃厚な気配があると感じさせられた展覧だった。
上左●子供にも使える器という視点から制作された3人の作者の作品。計280点ほどの作が並んでいた。 上右●左より、作者の野上薫さん、樺沢美子さん、朝倉晶さん。
おもに茶杓を削ってそれを生業としているという意味で、茶杓師などと呼ばれ、また数寄者ともいわれる海田曲巷(KAIDA Kyokko)氏の新作茶杓展を見た。
茶杓といえば、茶人らが傍らに削って作ることはよく知られているが、自己表現として茶杓をもっぱら削っている作者となるとあまり聞かない。海田氏は30年ほど前から独学で削りはじめ、これまでも数多くの作を発表し、ニューヨークやロンドンなど海外でも高い評価を得ている作り手だ。
作品は茶杓、筒、仕覆の3点セットがひと組になっていて、仕覆については上田晶子氏が素材選びから担当し、仕立まで行うという共同作業だ。
茶杓の素材となる煤竹は、およそ200年ほど前のものが中心に使われ、一般には敬遠される虫喰いや曲がりがあるような、作者の興に訴えかけてくる材を探し出すのが要点になるという。なるほど作品を見てみると、明るい色から小豆色、また黒に近い竹まで様々ある。また材に入っている節や斑、曲がりなどの性質を景色に見立て、そのまま作品の主題とし巧みに活かされている。脇に置かれた筒には銘が書かれていて、どれにもウィットが効いており知的好奇心がくすぐられて面白い。
仕覆に使われている素材は、日本、中国、アジア、ヨーロッパなど世界中のものだ。古くは中国製の500~600年前のもの、新しくても18、19世紀頃のヨーロッパで染め織られた裂が使われ、ここで新たな命を得ているようだった。
これら海田氏の作品には、総じて茫洋とした暖かさが感じられ、ゆっくりと、しかし確実に伝わってくるユーモアが伴っているのが特徴といえるだろう。ひたすらなシャープさだけを求めようとしていないのが、これらの作の人気の秘密かも知れないと思った。落ち着いた美と上質な粋は、洋の東西を問わず受け入れられそうな気がした。
上左●「渡守」(発表価格147,000円) 上右●会場は男女問わず熱心に見入るファンで賑わっていた。
土の質感をことさら強調しながら、他方、都会的な薫りのするデザイン性を打ち出した造形と装飾の、いわば"ミスマッチ"が魅力となって響き合う作を作り続けて定評のある、佐藤和彦氏の新作展がはじまった。
もとはといえば、机上のデザインとは異なり、自らで触れ、削り、磨くことのできる陶芸に魅力を感じ、さらに、土に固有の質感を用いて表現することを創作のテーマとしてきた作り手だけに、その"ミスマッチ"も奥深く堂に入っている。
本展出品作でいえば、素地土がちらちらと覗き見える程度に白化粧を施しておきつつ、その上から幾何学的な模様を描き、一部を透明感ある美しい青釉と金彩で装飾していく。いわば都市と山村が出会ったような、あるいは、機械と人間が手を握るような、暖かく冷たい不思議で独特な雰囲気を陶で作って見せていくのだ。また造形的な特徴としては、直線と曲線が混在した手捻りの魅力にあり、とくに壺や花入などの口作りには個性が現れている。それら口を仔細に見ていくと、直線と土を引き剥がした跡のような、ふたつの要素の切り口が重なった面白さがそこにある。......プラスとマイナス、熱さと冷たさなど、相反するものをひとつの作にまとめて一体化させ表現する佐藤陶芸の魅力は、本展においても遺憾なく感じることができ、興味深かった。
なお、この作者にしてはめったに見られない半磁器土を用いて作られた小品が、およそ20点ほど出品されていて衆目を集めていたことも記録しておきたい。それらの作の今後の展開については未定ということだった。
上左●相反する要素が一体化し微妙な均衡をとる「青釉金彩壺」
上右●「青釉金彩茶碗」。本展のテーマのひとつにもなった青釉は、ガラス質の透明感がありとても美しく感じる。
近年開かれる三上亮氏の個展で発表される作品は、一見、同じ作者によるものと思えないほど多様だ。積極的に、個展毎に異なるテーマに取り組んでいるからだが、基本的な創作の目的はなにも変わっていない。
掌のなかに包み込みたくなるように、優しげで、危うく、清潔感あふれた磁器の、緊張感漂う器を作る高橋奈己氏の新作展が開かれている。
これらの作の成形方法は、手捻りでもなければロクロでもない。最初、油粘土によって原型を作り、それを元に石膏型を起こしては作る「型作り」による作品だ。イタリアのファエンツァ国立陶芸美術学校に留学中、この手法のよさを知ったという。もちろん型を用いて作っても、量産化を前提には考えていない。ならばなぜこの成型法かといえば、陶土を削って完成形を目指すより、油粘土を少しずつ付け加えて、いわば彫刻的なアプローチによってじっくりと器形を探る方が、断然作りいいと感じているからだ。本展にはおよそ120点ほどの新作が出品されており、そのために制作された型は56個という。
作品の主なモチーフは植物の実など、自然のなかからヒントを見つけることが多いらしい。花のような、あるいは蕾とも思える形、果物の実にも似た作などがあり面白い。
本展では赤い釉が掛けられた作も見られたが、基本的に色には関心がなく素材そのものの白が選ばれ、また、作品のサイズは作者の感覚に一致した作りやすい大きさを追求するうちに、徐々に小さくなったという。この微妙な作品サイズが、作品に独特の緊張を生む主因になっていると感じられた。
これらの白い小さな磁器の器は美しく、緻密に、丁寧に仕上げられている。作者自身の内なる深みを探究しながら形作られ、独自の心象風景がそこに広がっていると思った。
上左●器だが鑑賞的な要素が強い作品が多い。左の作は7,800円、右は8,400円と値頃感もある。
上右●一部の土を欠いたことで、慈しみたくなるような表情を見せる「mi kakera」(発表価格は31,500円)
本展のサブタイトルには、「川小牧から生まれたもの」とある。川小牧とはもちろん、作者・加藤委(つぶさ)氏の工房がある岐阜県加茂郡富加町の地名のことだ。当地で20年ほど仕事を続けてきたが、今年、多治見市小名田町にある実家に制作拠点を移す前の、締めくくりの発表となるのにちなんでこの副題が添えられていた。
出品作は、20年間のうちに40回ほど焼成を繰り返してきたという、愛用の薪窯焼成によるものが中心だった。陶土と磁器土を用いて作られた各々の作が、小品を含めておよそ150点ほど出品され、どちらもともに焼締めと施釉ものとが展示されていた。
ガス窯で焼かれた、縁が包丁で切り取られた鋭利で美しい青白磁のイメージが残像としてあるが、今回は、薪窯でそれと同種の磁器土を焼締め、また青白磁釉を酸化焰で焼いて見せており、どちらも魅力があった。磁器土をロクロ成形で立ち上げながら、動的な造形を引き出すことに成功しており、花入などの口作りや、皿や鉢などの縁はあくまでもシャープに作られ好感がもてる。また、薄緑青色の釉の発色具合や、盤などに降った灰なども装飾として過不足ないように感じられた。
一方の土ものの作も、動きのあるロクロ造形が冴え、崩れそうでいながら崩れない際どい均衡が保たれ、見ていると独特な緊張が伝わってくる。鉄絵による装飾は思うがまま、奔放にして嫌味がないのは、この作り手の天性のセンスによるものとしかいいようもない。いずれにせよ、自身の持つ固有の感覚を素材に沿わせながら形を探るのが、この作者ならではの制作手法であり、その意味で見事な一体化を示している痛快な新作展だった。
上左●縁作りにシャープさのある「川小牧白磁ドラ鉢」(発表価格は73,500円)。 上右●同会場では4回目の個展発表となる作者・加藤委氏。
独自に創案した様々な作風を巧みに操り、これまでいくつもの人気シリーズ作を生みだしてきた寺本守氏の新作展が開かれている。
本展では、それら定番の手法のうちのひとつ、銀彩にテーマが絞られ、壺型と縦長の花器、口部が広がった鉢などを中心に、およそ80点ほどが出品された。
素地土はすべて佐賀県・有田産の磁器土が用いられ、どの作もロクロ成形により、この作者らしい端正な形にまとめられている。また、銀彩による装飾模様はといえば、ストライプと風に舞うリボンのような模様の2種だ。この風にリボン模様の着想は、草書体のかな文字を見ていて思いついてデザイン化したイメージといい、ストライプと好対照を示していてなかなか興味深い。それらどちらの模様の作も例外でなく、寺本作品に総じて共通した特徴として、造形も装飾もともにデザイン性の強調された都会的洗練のようなものが感じられる。土もの、磁器もの両方を軽やかに往き来し、焼締めから上絵、象嵌......と、実に器用に多彩な技法をこなしながらキャリアを積み重ねてきた名うての作り手でもある。
茨城県笠間市に独立し、いつしか作陶歴も30年を越えた。本展以降、年齢的にも節目を迎えることから、これまでの作風をいったん忘れ、新たな大きな目標を掲げて制作に取り組む計画という。その一環として、来年中には新しいシリーズ作「須恵器風の灰釉作品」が、発表されるらしい。期待しながらその日を待ちたいと思う。
上左●「銀彩緑釉花器」。発表価格は300,000円 上右●昨今では、東日本伝統工芸展で鑑査員を務めるなど後進の指導にも当たっている作者。
京都から滋賀県大津市に陶房を移して、10余年が過ぎたという山田晶氏の新作展を見た。食器を中心に、花器、陶板などを加えた80点ほどが展示されている。
基本的には実用的な器なのだから、ことさらエキセントリックな形をした作は見当たらない。むしろ器作品全体としては標準的で、几帳面な造形だといえそうだ。一転、装飾としては、近年精力的に取り組んでいる「猩々緋(しょうじょうひ)」「白金彩」などの独自手法をさらに展開させた作が見られ、この作品ならではの妖婉な雰囲気を醸し出している。
誤解を恐れずにいえば、まるで樹脂の素地に合成漆でも塗ったかのように思えるこれらの作は、花器など大作の一部をのぞき胎土には磁器土が使われている。ロクロ成形の後、赤色の顔料を塗って素焼してから、磨くのだという。それから再び赤や黒の顔料を塗り、掻落しによる装飾を施すことによって、作品の表情に違いが生じることになる。そして本焼し、さらに上絵で金彩を重ねてやっと「猩々緋」の特異な色彩とテクスチャーを得る。作者本人は淡々としているが、ここまでくるとはっきりいって「執念深いオタク」の仕事とも思う。とはいえ、その工程を経て作者が掌中に納める成果は、決して小さくはない。昨今流行の骨董写しの「シンプル系うつわ」にはない、作り手の揺るぎのない意志と、どこを探しても見つからない独創がそこにあるからだ。
なお「猩々緋」の作は、見た目の重厚感に比し、どの作も持ってみると意外なほど軽く、また、皿や鉢類に秀作が多くあったことを記録しておきたいと思う。
上左●「猩々」とは、中国の想像上の怪獣で毛が長く朱紅色をしているという。オランウータンの意とも。とくに猩々緋の皿や鉢類に佳品が多く見られた。
上右●「白金彩四方鉢」の表面は下層に塗られた猩々緋が所々透けて見え、装飾効果を高めている。裏面には白金彩は施されず全面が深い猩々色だった。発表価格は47,250円。
会場となったギャラリーは、2部屋に別れて展示スペースがある。本展のサブタイトルにあるように、一方の「しろのへや」には約100点の無彩色の磁器の器が並べられ、もうひと部屋の「いろのへや」には、化粧土と上絵による作品が展示されていた。どちらの作も、磁器素材に固有の冷たさがほとんどなく、ほわほわと立ち昇る微熱のようなものすら感じられた。武蔵野市に生まれ、現在は愛知県常滑市で制作する浜坂尚子氏の新作展だ。
「しろ」の出品作は、型による成形が中心ではあるが、とはいえシンメトリーな器形をほとんど採用していない。多少の歪みや手跡などが適度に残るように意識的に処理された、汲み出しのようなカップ、あるいはぐい呑位のサイズのカップ、鉢、小皿類が並べられていた。表面の装飾は雄弁でなく、かつ寡黙でもない程度に個性的なのも、「しろ」の作の特徴となっているようだった。
他方の「いろ」の作は、主な成形法は型とロクロ。器種としては、皿や鉢などに、種々のカップ類などおよそ120点ほど。彩色は下絵では化粧土を筆を使って色が塗られるように描かれ、後にさらに上絵が施されていく。下絵によって大胆に、即興的に色が加えられ、一転、上絵では可愛らしく精細な絵が丁寧に描かれる。いずれの作も、どこの家の食卓上の、どんな器とも共存できそうな親和力があり、とはいえ、それなりの個性も主張する作だと見える。際立った自己主張はしないが、作者の体温がじわりと伝わるほどにオーガニックなのである。こられの作を見ていて感じるほどよい心地よさは、そんなところから発せられているのでは、と春の風に吹かれながら思った。
上左●型によって成形されたティーポットとカップ。表面の装飾は過不足なく、心地よい暖かみが感じられる磁器だ。
上右●抑えられた優しい色が好んで使われていて、見るとすぐに使ってみたいと思わせる。