
0072号
2012年01月26日更新
19世紀半ばのイギリスに起こった美術工芸の運動、アーツ・アンド・クラフツといえば、ウィリアム・モリス(1834-1896)が提唱し、牽引したことはよく知られている。機械文明を批判し、人々の生活に結びついていた中世の手工芸を理想としたモリスは、家具、壁紙、ステンドグラス、書籍などのデザインを手がけて工房で制作し、モダンデザインの父とも呼ばれている。
そしてそんなモリスの思想や仕事に共鳴し、長く行動をともにしたのが、ウィリアム・ド・モーガン(1839-1917)だった。イギリスの陶磁デザイン史に深い足跡を残した作家ながら、これまで日本ではほとんど紹介されなかったから、本展は作品や業績など全貌を知るまたとない機会になりそうだ。
とくにド・モーガンの仕事は、1872年に陶器やタイルを制作する工房を開設したことがきっかけとなり、才能を開花させ、数々の傑作を残した。当時、工業的な大量生産によるタイルが増えるなか、やはり手仕事らしさを意識し強調した仕事が基本におかれている。ところで、タイル? と聞いてやや違和感を持たれるかも知れないが、日本では西洋と建築様式の違いもあってか、一般に装飾の抑えられたものが、水回りなどの限られた場所で実用的に使われるだけだからだろう。折しも英国、ヴィクトリア女王の時代(1837-1901)には、ヴィクトリアン・タイルと呼ばれるタイル文化が隆盛し、暖炉の周辺や通路の壁面など様々に使われて身近に感じられ、一方でその分、タイルの装飾的な役割はかなり重要だったと思われる。
そんな背景があって、ド・モーガンのデザインしたタイルは、手仕事の良さを色濃く残しつつ、手描き転写という技法によって描かれた。また、釉薬や顔料の調合、窯の改良など窯業技術の面でも熱心に取り組み、そのため当時のどのメーカーのタイルよりも、艶やかで色に深みがあったものが制作されたのだといわれている。主な意匠には、ヒナギクやアネモネ、カーネーションなどイギリスの野や庭に咲く花々が好んで描かれ、これらがデザインとしてパターン化され、独特のリズム感が生まれていかにも楽しげだ。
タイルばかりでなく、皿や花器、壺などにもデザインを施し、それらの魅力は、動物の絵柄などに濃密に感じられる固有のユーモアだった。鳥や鹿などの絵もありのままには描かれず、ヒョウやライオンでさえ、どこかエキセントリックに、とぼけたような雰囲気が漂っていて見ていて飽きない面白さがある。
またもうひとつだけ加えていえば、9世紀のエジプトではじまったといわれるラスター彩の技法を再発見し、実験を重ねて、独自のラスター彩を開発してヨーロッパ陶芸史に功績を残したことも、特筆されるべきド・モーガンの仕事のひとつといえるだろう。
......それから100年以上の時を経た現在の日本。今、感度の高い一部の人たちの関心を熱く集める北欧デザインにも一脈相通じるようなド・モーガンの作風であり、さらに、後に日本でも活動した陶芸家、バーナード・リーチ(1887-1979)の作に影響を与えたか? とも思わせるような作なども展示されていて、そんなところも実に興味深い。
本展では、ヴィクトリア朝時代の建築を鮮やかに彩ったであろう装飾タイルや壺など、19世紀の人々の暮らしに潤いを与え続けたウィリアム・ド・モーガンの代表作、およそ150点ほどが展示される予定。
上左●「錫釉皿-風変わりなクジャク」絵付:チャールズ・パッセンジャー 工房:サンズ・エンド・ポタリー 1888-1907年 (C)De morgan Foundation, Credit:Graham Diprose 上右●「タイル-ベッドフォード・パーク・ヒナギク」1872-1907年 (C)De morgan Foundation
これまで、地元・岡山や広島など中国地方を中心に活動してきた作者・星野聖(ほしの せい)氏の、本会場での2回目の個展が開かれている。
入口近くに展示されている壺は、肩に降った胡麻がよく溶け、長く伸びて美しく流れた様子を見ると、念の入った本格的な焼成を行っているように思われた。工房のある瀬戸内市牛窓町に近い寒風、それに伊部の下松、大ケ池産などをブレンドして作った土を使って作られた備前の焼締め陶、備前焼だ。
幅は約1.8メートル、長さがおよそ16メートルほどの半地下式の登窯を用いて、20日間ほど焼成して得られたものという。特にさほど大型の窯でもないことからすると、かなりじっくりと時間をかけて焼き上げているといっていいだろう。また、ひと窯の焼成のために必要な赤松の薪は、4トン車に5台分ほどらしいから、実感としてはかなりの量になる。
筆による絵付もせず、施釉も行わない焼締め陶ならではの装飾といえば、もちろん焼成による土肌の変化に尽きる。緋襷などを除けば、出品作の多くでは自然釉が融けて流れていて、それがこれらの作品の特徴的な見所となっている。一部の作には、深くて暗い紫色に近いような発色をしているものや、まるで緑青が吹いたかのような作も見られ、興を逸らせない魅力がある。また、ひとつの作品のなかに、明るく白っぽい素地の土色、朱、黄土色から焦げた黒っぽい茶まで、様々な色の変化が段階的に続いて見られる。これらは窯詰めと焼成による工夫など、装飾的な効果を狙って作者が意図的に導いたものと推測でき、焼締め陶でありながら、どこか華やかさのある作にも見えて独特だ。
作品の要諦を決めるもう一方の造形は、ほとんどの出品作が紐作りで成形され、型ものは角皿などほんの一部だけという。展示された作全体を見回すと、古くからの伝統様式を意識して作られた一群と、現代の備前に主流のオーソドックスな形、また柔らかく、あるいは控えめに個性が現れた作など多彩だ。今後、どの方向に焦点が絞られるかは定かではないが、その解答は作者の内にしかないのだから、時を待つしかなさそうだ。
最後に少しだけ、作者のプロフィールに触れておくと、大手の食品会社のサラリーマン生活を37歳で辞め、森陶岳氏の窯に修業に入り、独立している。初窯の窯出しをした折には、もう40歳代の半ばだったという異色の経歴だ。偏見なく、今後の創作活動を注視していきたいと思う。
上左●本展には7回目の窯出しによる、小品を含めておよそ100点ほどが展示され、ファンら観客で賑わっていた。上右●玉垂れが美しく流れた壺には、多様な発色も見られて興味深い。活けられたモミジが引き立ち、涼味を誘っていた。
いつも藤平寧(ふじひら やすし)氏の作を見ていて思うのは、この人ほど器を作ろうとか、用途のない造形作品こそを、などと限定しないで、自らの活動範囲を狭めたり封じ込めてこなかったろうということだ。むしろその間を自由に動き回り、いとも軽々と往き来して成果を上げてきたこんな作り手は、そう多くないと思える。オブジェを作らなければという気負いもなければ、伝統様式にだけ拘束される息苦しさも感じられなくて、実に柔軟な身の構えなのだ。そんな幅のある境界線上を、ずっとひとりで歩いてきた作者らしい器を中心にした新作が、本展で展示されている。
手捻りで形作られた器は、皿や鉢として用いるには素地にやや厚みの足りないような感じがするものがある。こうした独特な、はかなさのような気配が伴うのが藤平作品の特徴のひとつだ。薄作りの表面はわずかにデコボコと波打ち、ボディがやや歪んで作られているために、それぞれの作は少しずつ小首を傾けたようにも見え、組みものであっても形はかなり違っているものもあり面白い。まるで森の中に転がっていそうな木の実を割ったような形の鉢や、樹々の種や枝先についた水滴にも似た姿をしていたりして、いずれも見る側の情感に滑り込んで来るような器ばかりだ。そして実際に、たとえばそれらの器に料理などが盛られている様子を見ると、涼し気に見えて深い興もある。使用後に、洗ったり収納を考えると少し扱いに神経を使わなければならないとも思えるが、そこまでを含んで、これらの現代を呼吸した個性的な作と接する機会を、楽しみに受け取っているファンも多いようだ。
もうひとつの特徴は、装飾としての色だ。黒と金、黒と銀など、くっきりと鮮明にツートンに塗り分けられたものがある一方、釉が混じり合ってとてもなに色とはいえないような淡く繊細で、複雑な色使いのものが見られて魅力的だ。ところが素地土の自らの色や金・銀泥彩をのぞくと、本出品作に使われている基本となる釉薬の種類は4種類ほどだと教えられ、少し驚いた。会場に並べられた作が、多彩に見えて映るからだ。
また実用の器なのだからと、とくに手にとって使う種の重量感はこれまでも作者の中で慎重に考慮されてきた。それらに加えて、最近意識しているのは作品のサイズだという。現代の器としての大きさもさることながら、自分らしさを現しやすいベストな大きさなども視野に入れながら、料理を盛る器としての美的サイズも追いかけているのは、いうまでもない。
なお会場の壁面には、掛け花入やオーナメントとしての造形作品も展示され、作域の広さとセンスの良さの一端が窺える展覧になっている。
上左●まるで、どこかの風景を立体的な絵に描いたような器作品の連作「水のうつわ」。(中央の円柱型の作品の発表価格=52,500円) 上右●美しい虹色にも見え、あるいは真珠色にも輝いている皿(前)は、銀泥を塗って得られた効果という。
■ギャラリートーク「うつわって面白い」
作者自らによるギャラリートーク「うつわって面白い」が、4月17日(土)15時から同会場にて開催されます(予約不要)。
青瓷を焼く作家として、ファンの間に浸透してきた浦口雅行(うらぐち まさゆき)氏の新作展を見た。学生時代(東京芸大)の恩師のひとり、三浦小平二(MIURA Koheiji 1933-2006)に作家形成において強く影響を受け、卒業後、創作活動をはじめた当初から青瓷にターゲットを絞って作り続けてきた。
会場に展示された出品作を概観すると、中国の官窯からの流れを汲む伝統的な「青瓷」と、暗緑色を呈した「海松(みる)瓷黒燿砕」というふたつの青瓷が主体となった展示であるように見えた。そしてその間には、黒晶、米(色)瓷、月白瓷、鶯瓷など独創的な幾種類もの青瓷があって、それがそのまま今日の仕事へと至る道筋となってつながっている。作者は青瓷(粉青)を基本に置いて釉を熟成させ、今のところその最も先端的な成果が海松瓷という位置づけだ。
さらに今展では、そこに「瑠璃燿砕」という新作を加えての発表となった。この釉が施された新作の茶碗は深い濃紺色を基調としていて、近づいてよく見ると無数の貫入が光を屈折させ、美しい瑠璃色に輝いて見える。また一部には、眺める角度によって様々に彩りを変え、虹のようにも光る幻想的な作だ。この瑠璃燿砕は他の青瓷作品とは異なる、別系統の釉薬に属すものらしい。青磁釉の基本は、釉中に含まれる微量の鉄分による呈色だが、瑠璃燿砕はコバルト(呉須)によって発色させているからだ。しかし海松瓷という独創的な青瓷釉ができたことから発展・展開させ、技術を応用することによって得られた作であることには違いない。
また造形としては、伝統に忠実な、オーソドックスな形態の花生や輪花鉢などが出品されている一方、この人ならではの著しく個性的な姿をしているのが「博山爐」や「博山壺」だ。着想の原点にあるのは中国の金属器で、前漢代頃からは陶製のものが作られた。山の形に作られた蓋に特徴が認められ、とくに浦口氏による「博山」は情熱的で、饒舌な装飾性が際立っているように感じられる。このやや過剰にも感じるほどの蓋の多重造形が、ボディの形と一体となって全体の均衡が保たれると、一転、青瓷作品としての重厚感が顕在化し、作者の造形センスがよく示されているように思える。
壺や花入、茶碗などの静けさ、「博山」の重みや動きのある形、また釉による青い色の変化の妙が大方の観覧者の気を引いていて、見応えある展覧となっていた。
上左●五重の塔のような「青瓷黒晶双耳博山壺」H43.7㎝。独特な「浦口博山」様式が築かれつつある。 上右●1964年に東京に生まれる。89年に東京芸術大学大学院三浦小平二研究室修了。91年に独立築窯。2002年に茨城県芸術祭美術展覧会特賞受賞。09年、茨城工芸展茨城工芸会80周年記念賞受賞。現在は茨城県石岡市にて制作。右は「青瓷六耳博山大壺」H51.5㎝
石川県金沢市に本店を持つ老舗酒蔵(銀座店)での発表なだけに、テーマはもちろん、酒器を中心にした食器だ。なかでも異彩を漂わせて目を惹くのは、焼締めの器に透(すき)漆を塗って作られた一連の作。深い暗赤色と落ち着いた灰黒色の2種類が出品されている。とはいっても、この色は漆による着色ではなく、土と顔料によって導かれた発色という。なぜ、やきものに漆なのだろう? 古くから水漏れを防ぐ工夫として、土器などに漆を塗布したものが見つかっている。西川聡(にしかわ さとし)氏の作るこれら無釉の焼締め陶も、防水効果のために施されるのが第一の目的だ。それによって、料理の脂なども染み込みにくくなるという。もちろん、漆を塗ることによって装飾的な奥深い雰囲気が現れたり、独特の質感が得られることも理由のひとつだ。最後の工程で漆を何度も塗り重ね、そのまま自然乾燥させる時もあれば、さらに200度ほどの低火度で焼成し、完成作とする場合もあるらしい。
そしてそれらとは一転、趣向を変えたもうひとつの系統が、施釉ものの白い器だ。化粧土が刷毛目風に塗られたものや、青瓷のような作も出品されている。これらは、土と釉の一体感を意識しながら作られている。作域は異なっていても、こうした出品作に共通しているのは、抑制の効いた淡い個性を、しかし鮮明に打ち出す加減や姿勢がとても洗練されていると映ることだ。そして、昨今の「うつわブーム」の渦のなかで際立とうとするのではなく、むしろ一歩引いた作者なりの独自のフィールドに足場を守りながら、ニュアンスのある作を作ろうとしているようにも見える。
それは、30歳代のはじめ頃の一時期、スペインを拠点に制作し、アフリカ大陸や中近東などを旅しながら見て歩いた経験や蓄積と、まんざら無関係ではないかも知れない。とくに興味があったのは、アフリカで見た木工品だった。一見、原始的で粗雑に作られるようにいわれることの多いそれらは、しかし、よく観察するととても丁寧に作られていると思ったという。
本展に出品されている自作でも、小品に至るまで丁寧に仕上げられ、また一様に端正な姿形をしている。そして、極端な歪みや捻れを抑えたなかにだけ見出され、感じられる、静かな美しさを湛えている作が多い。クラフトという概念を視界の端に納めつつ、感覚や味だけに寄りかかって作ろうとしないこれらの器を見ていて、現代の生活のなかにふわりと溶け込んで生きる場所が、確かにあると思わされた。
上左●表面に透漆が塗られることにより、独特な表情を見せる銚子(発表価格=25,200円)と碗(同4,200円)。 上右●個展会場は1625年(寛永2年)創業という石川県金沢の酒蔵・福光屋の銀座店。酒器を中心に冬の食卓に相応しい器が展示された。
三重県津市に本拠をおく川喜田家は、東京・日本橋大伝馬町に寛永年間から続く木綿問屋を営む豪商だった。川喜田半泥子(KAWAKITA Handeishi 1878-1963)は、この老舗大店の15代目の長男として生まれた。家督を相続して16代を襲名、商家の当主として、また銀行の頭取など数々の企業の要職に就いて財界で活躍しながら、その一方で、陶芸、日本画、書、木版画、建築、油彩画、写真、パステル画、俳句など、各方面に芸術的才能を発揮した作り手として知られている。
とはいっても、半泥子と同時代に生き、親しく交流して影響を受けた若き陶工・荒川豊蔵(1894-1985)、中里無庵(1896-1985)、金重陶陽(1896-1967)、三輪休和(1895-1981)らの職業作家としての歩みとは異なり、あくまでも生涯アマチュアとしての立場を保って創作活動を続けた。そして作られた多くの作品は主に交友関係に贈られるなどし、これまで愛蔵されてきたという。そのために、まとまった数の作品を鑑賞する機会にはあまり恵まれず、また、プロ作陶家らに較べて、作品が紹介された資料なども多いとはいえなかった。本展ではおよそ220件(点)におよぶ出品作を見ることにより、陶芸や書画を中心にしてその全貌に改めて触れ、川喜田半泥子の芸術を存分に楽しむことができる構成になっている。
とくに、50歳を越えてから本格化した作陶は破格で、趣味の域をはるかに超えて、当時の陶芸界に革新的な息吹を吹き込んだといわれている。その特徴はなんといっても、「桃山茶陶の再現に留まることなく、その時代の作陶想念に心通わせ、焼成の方法を根本から見直す」(「からひね会」)精神を礎とし、桃山陶芸の魅力を充分に見極めながらも、作る目的をそれらの再現や模倣とはせず、あくまでも作陶を楽しみ、自らの世界を作ろうとしたことにある。
そうして作られた茶碗など数多くの茶陶類は、茶の湯に対する理解を背景にしつつ、どこかユーモラスで壮大な思いを込めた作に仕上がっている。また類型や様式にとらわれておらず、これら遊び心にあふれた作を見ていると、ふと、気分が和む感じさえする。
ときに「東の魯山人、西の半泥子」などといわれることもあるようだ。奔放で多作という意味では重なるところがあるにしても、創作の内容はかなり異なり、やや誤解を招くいわれ方のような気もする。いずれにせよ、本展によって偉大なディレッタントとしての川喜田半泥子の陶芸の位置づけ、あるいは近代作家としての評価が、より鮮明に際立ってくるように思える。
上左●「黒茶碗 銘・すず虫」制作年不詳 個人蔵 上右●「半泥子自画像」制作年不詳 個人蔵
*なお、同展の関連行事として以下が予定されています。
■記念呈茶会「半泥子の茶碗で楽しむ」(先着 限定100名)
日時:2009年11月3日(火・祝)11時~15時 場所:セラミックパークMINO 茶室 料金:500円 協力:表千家紅谷社中、石水博物館
■ギャラリートーク
本展会期中の毎週日曜日 13時30分から 同館学芸員による展示案内
◆チケット・プレゼント
本展の招待券を、ペアで5組(10名)の読者の皆さまに抽選のうえプレゼントします。ご希望の方はお問い合わせフォームからお名前と、内容欄に「川喜田半泥子展 チケット希望」と記入し送信して下さい。なお、発表は発送にかえさせて頂きます。
詩的で、モダンな抽象絵画のような装飾をまといながら、和風にも傾かず、でも西洋的な偏重にもない形のこれらの器は、そのまますぐに食卓のうえに並べられ、料理を盛って実用に使えるという点で、現代の日本人の暮らしをそのまま表すような作だといえる。それは作り手・鷹尾葉子(たかお ようこ)氏自身の暮らし振りが、ことさら意識することもなく自然に映され、作られているからだろう。
作者は1980年代後半頃から、注文が次々と増えていって、それらの需要に応えるようにプロの陶芸家として活動をはじめた、人気作家のひとりだ。
本展では、皿、鉢、ボウル、カップなどを主体にし、加えて壁掛けや植木鉢、それにオブジェなども出品されている。展示作全体のトーンは、とても静かな落ち着いた統一感があり、器の形は明快でシンプルなものが多く、そのことによってなににでも使えそうな幅が生まれるのだろうと思わせる。とはいえ、作り手の側に自信がなければ、○○用、○○向けと提案したくなりそうだが、一切の作品名すらなく、ただ作品が展示されるばかりだ。
余分が削ぎ落とされたシンプルな造形に比し、そうは見えないかもしれないが、しかし素材と一体化したような装飾は、実に入念に作られた結果だ。素地土、化粧土、釉薬、顔料などを複雑、かつ自在に組み合わせ、それらを混ぜ、塗り、描き、削り、ひっかき、この人独特のテクスチャーを作り上げていく。だから、ほんの小さなキズのように見える削りも、意図的に入れられており、そういう小さなひとつの景色が、全体の素材感や装飾性へと導かれ、器の雰囲気を作っていくことになる。作者によれば「好き勝手に、楽しみながら描いている」のかも知れないが、作り手の等身大の作に共感するファンが多いのも事実だろう。
一方で、「八木一夫賞現代陶芸展」など公募展で入選を重ねてきたキャリアを持つ作者は、一時期、やきものでオブジェを作る意味は......? などと考えることもあったらしい。長く器を中心に作り続けながら、今では、オブジェとの間も自由に往き来し、見る者にストレスも感じさせず、その姿は自然だと思える。そんなところにも、この人らしさがうかがえたようだった。
作家として鑑賞者の視線を逸らさず、関心を保ち続けてきた陶芸家だが、本展を見ていても感じるのは、作品の質に較べて発表価格は良心的で、廉価だということだ。こんなところにも、人気の要因のひとつがあるのかも知れないと思った。
上左●抽象絵画のような装飾の皿(発表価格=7,350円~26,250円)には、独特な素材感がある。和洋中となにを盛っても料理が映える器でもある。 上右●丸皿の裏を返して見ると、三つの膨らみが脚となっていて、表面の装飾と関連した造形が面白い。
藤本能道(FUJIMOTO Yoshimichi 1919-1992)は、東京芸術大学に30年近く奉職して教鞭を執り、学長などの重責を担って果たす傍らに、自身の個展などでは意欲的な新作を発表し続け、個人の創作活動にも手を緩めなかった。終生、そんな作り手としての姿勢を保ち、高みを目指した結果として、たとえば色絵磁器の技術保持者として重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定(1986年)され、名実ともに陶芸界に多大な影響力と足跡を残した作家だった。
藤本陶芸の特徴のひとつは、写実的な描写による装飾表現にあるといえる。日本画の没骨描法を採り入れて描き、また上絵具の新色を考案したり、草白釉、雪白釉、梅白釉と名付けられた半マット質の白磁釉や、霜白釉という透明釉などを開発し、自作に活かしている。また釉描加彩と呼ばれる手法は、作品作りに欠かせないものだった。主に、絵に奥行き感を持たせるためにこの技法が用いられ、本焼の過程で背景などの模様を釉彩によって描き、その後さらに上絵付を施すことで、見ていても違和感のない、磁胎から上絵付までが一体化した絵画的な色絵が生み出された。また造形と模様の感覚的な一致を作陶の基本におき、とくに陶筥や扁壺などに強い独自性がうかがえるのも見逃せない特徴だろう。
この展覧会で注目したいのは、出品作すべてが同館の「菊池コレクション」により構成されるということだ。なかでも、死の直前に開かれ、最後の新作展となった「陶火窯焔」(1992年)展の作品群が中心になっている。これらの作は、これまで公開が控えられており、まとめて作品が鑑賞できるまたとない機会になるだろう。作者が生と死を意識しながら、本展の副題にもあるように「命の残照のなかで」構想し、制作されたものであり、陶芸家としての到達点を極めて結実した、渾身の作だといえる。華やかななかにも寂寞感が漂う絵付からは、まるで渦巻くように凝縮された命のエネルギーが伝わってくるようで、ことさら印象深い作が多いと感じられる。
またそれらに加えて、昭和天皇・皇后行幸啓の際の晩餐用に作られたディナーセット「幻の食器」(1976年)や、さらに1970年代、80年代の代表作など併せて50余点が厳選のうえ出品展示され、藤本陶芸の真髄に身をもって迫る内容になっている。
なお、本展を開催するにあたり、アメリカの展示デザイナー、リチャード・モリナロリ氏により、藤本作品に合わせて会場が一新され、絹と和紙で織りなす展示室と色絵作品が融合した空間で作品が鑑賞でき、こういった趣向も他館では絶対に見られない本展の楽しみのひとつとなるに違いない。
上左●「霜白釉釉描色絵金銀彩炎と蛾図扁壺」H26.0 W24.8×16.0㎝ 1991年 上右●「霜白釉釉描色絵金彩花と虫図六角大筥」H8.2 W32.0×36.6㎝ 1990年
◆チケット・プレゼント
本展の招待券を、ペアで5組(10名)の読者の皆さまに抽選のうえプレゼントします。ご希望の方はお問い合わせフォームからお名前と、内容欄に「藤本能道展 チケット希望」と記入し送信して下さい。なお、発表は発送にかえさせて頂きます。
店によると、本展の初日、皿やカップ類などにとくに人気が集まり、どっと売れてしまったという。これらの手捻りによる染付磁器の器の背後には、こうした多くのファンがいるようなのだ。
磁器に特有な冷たさや堅苦しさを少し遠ざけ、一方で、素材の持つ清潔感や器としての使いやすさを活かして作りたいと、作者・長岡絢美(ながおか あみ)氏はいう。その結果として、手捻りか、また外枠に型を使った半手捻りのような手法によって成形されている。だからもちろん、いずれの作も素地表面はデコボコと波打っていて、作者の淡い体温が伝わってくるようだ。だが、それらの動きや手跡が強調されるようなことは決してなく、むしろ微かな、密やかな揺れというほどに意識的に抑制されている点に共感が生まれ、それは見ていての心地よさにつながっていくと感じられる。
これらの作のもうひとつの大きな特色は、染付による絵付だ。独特な詩的な叙情があり、作者の感受性がそのまま絵となり、造形と一体になって、ひとつの物語を紡いでいく。
たとえば朝日、月、夜空、また流れる川や風、あるいは罌粟(けし)、夕顔などの花々、蟻、蜂、魚、鳥......そして馬かキリンのような空想的な動物など、絵のモチーフは実に多彩だ。そこに、これまで見てきた古今東西の美術品や美しい光景などの記憶が渾然と交わり、しかもそれぞれに物語が封じ込められたような絵付が展開され、「染付絵本」とでも呼びたいほどのストーリーが感じられる独特のものだ。
月の満ち欠けが組み皿のうえでデザイン化されて描かれていたり、張りつめた空気の夜空に、天の川のような幻想的な風景が広がる大皿もある。なかには、馬がひとりで草原を歩いているような絵付もあるが、そのどれにも時間の経過までもが描き込まれているように感じられ、だから見る側一人ひとりがその人なりの物語を想像してしまうのだろう。そしてかならず、さぞやこれらの器が食卓に上れば、きっと楽しい夕食になるだろうとも思わせるのだ。
可塑性のある瀬戸産の磁器土に、かつて京都の老舗で入手したという呉須を用い、詩情あふれる絵付を神奈川県の海辺の街で施し、焼いている。手捻りの磁器による「染付絵本」が、今後、どのような筋立てになっていくかは、作者にも分からないかも知れない。でもどうせなら、この染付物語の先までを見通してみたいと思わせる、意欲的な新作展だった。
上左●「高台大皿 罌粟」(発表価格=126,000円) 上右●エスプレッソが美味しく飲めそうな、魅力たっぷりの「デミカップ」(発表価格=15,750円)。
穴窯を使って、個性的な焼締め陶を焼き続けている吉筋恵治(よしすじ けいじ)氏の新作展が開かれている。出品作はどれも、信楽産の黄の瀬土を用いて制作され、工房のある静岡県周智郡辺りの赤松材を使って焼成された作だ。灰の被り方や、自然釉の流れ方が各々違って見えるのは当然として、明るい作から暗い印象の色まで、こんがりと柔らかに焼き上がったものから、激しい窯変となって窯出しされた作品まで、色や焼き上がりの幅はかなり広く、同じ窯での焼成変化とは思えないほど多様だ。
これらの作は、窯詰めを規則的に、あるいはルーティーンとしては決して行わず、その都度、焼き上がりを計画的に変え、これまでの経験と知識を活かして、次を探し、新しさに挑戦して得られた焼成結果だろう。
また造形面からいえば、中心となっている出品作は、大壺、花器、鉢などだが、伝統的な、オーソドックスな形態を意識した作がある一方で、この作者らしい不思議な形のものも目にき観客を楽しませている。それらの作の着想は、たとえば農耕具や武具、また古代の銅器など、古い時代のものから得られる場合が多いという。「焼締めはもともと原始の技法だから、古いもののなかから形のアイデアを探し、それによって新しさを表現したい」と作者は考えているのだ。
そうして辿り着いた焼締め陶の形には、用途の伴わないものもある。たとえば、「弥勒さまの手」「自然釉窯変次郎柿」「自然釉窯変林檎」などの作は、いわゆるオブジェだ。ただ、菩薩の掌などには窪みがあるからそこに水を蓄え、樹の葉や木の実でも置けばシャレた花入になるかも知れない、とは思わせた。ともあれこれらオブジェと器の間を、意識過剰に陥らず、苦にすることなく軽やかに往き来しながら、自由に作っているようにみえる。制作の根底に、もし優れたものができれば、鑑賞するだけの作でもそれを見る誰かの役に立ち、また、安らぎを感じてもらえるかも知れない、という思いが滲むからだ。そういう熱が見る側にも伝わるのだろうか、遠方からわざわざ本展に駆けつけて作品を求めるファンもいるようだった。
陶産地ではなく、もちろん伝統もない場所で、個人的な創作としての焼締め陶テーマに掲げて焼く作者として、今後の活動が注目される陶芸家のひとりだろうと思った。
上左●「自然釉窯変弥勒さまの手」(発表価格=105,000円)は工夫次第で花入としても使えそうだ。他に「薬師さまの手」などの作も発表された。
上右●しっかりと焼き締められた「自然釉大壺」(発表価格=472,500円)には風格が感じられた。